食べることと出すことを読みました

潰瘍性大腸炎の闘病記です。

著者の頭木さんはカフカの研究者で、全編において示唆に富んでると言うか、深かったです。内田樹先生の本を読んでるような、哲学っぽい、でもスラスラ読める本でした。

印象深かった箇所はたくさんあるのですが、第4章の”食コミュニケーション”で、「食べることは受け入れること」であり、生きていくことに不可欠な食べ物を相手の前に差し出すと言うことが、最高のもてなしであり、それをありがたく受け取って食べることで、両者の関係が深まるということであったのだろう。生存のための食べ物を分け合う関係と言うことだ。だから、食べない相手に対して人はいら立ちや怒りを感じる。自分を受け入れてくれない拒絶を感じるからだ(p103)とあり、病気で食べられないと、文字通り食べられなくて困るだけでなく、人間関係にもひずみが出るということ。同じ釜の飯を食う、盃を交わすなどの表現があるように、食を通じて人間関係は成り立っていて、それがないと結構困ることになること。客に”お茶を出す”、客はそれを”飲む”と言った行為も実は結構意味があるんだと感じました。「あなたは毒なんて入れない人だと信用しております」ってことになるわけで。

第5章の”出すこと”にしかし、うんこに何かおかしみがあるというのは、大人になってもずっと残っている感覚ではないだろうか。(p141)あるように、出すことの章では、ご本人は大変なご苦労だったと思いますが、なぜかクスっとしました。

後半では病気に関しての精神状態がずっと書かれていますが、私も言っても健康だし、病気で苦しむ方とわかりあえることはないとしても最大限の気遣いは必要だし、たかが風邪でもそれが持病を悪化させることがあることも理解しなくてはならないと思いました。

同時に「いくら想像しても、経験していない自分にはわからないことがある」と言う風にみんなが思ってくれれば、たいへんなちがいだ。(p314)とあり、病気にかかわらず、勝手な想像で決めつけるのはよくないと思いました。わかったつもりが一番よくない。気を付けよう。